1967年発行。
コロンビアの作家、ガブリエル・ガルシア=マルケスの代表作。
世界的なベストセラーとなり、
マジックリアリズムの手法とともに、
ラテンアメリカ文学ブームを巻き起こしました。
購入したのは一年半前くらい、
読み出したのは1年くらい前だったか定かではありませんが、
長かった・・・。なんとか読み終えました。
コロンビアの片田舎にマコンドという村を創設した一代目から数えて、
都合七代目に至るまでの一族と村の栄枯盛衰を描いた物語です。
殺し合いさえ、じゃれあう子供のように映す程度の俯瞰的視点から、
骨太な筆致により、一族を中心に、
ラテン的衝動的情熱的な行動を追っていく一方で、
その全世界的視点から選りすぐった微細な知識の装飾を、
骨太な骨格の表面に丁寧に貼り付けていくという、
一種独特の様式美です。
これにマジックリアリズムが加わり、
独創的箱庭世界が創出されています。
さて、マジックリアリズムとは何ぞやと言うことですが、
私もこの作品で、初めて、それを経験したので、
本作品に限った話になってしまいますが、
マジックといっても、魔法の存在する世界ではありません。
魔術師は出てきませんし、黒魔術も白魔術もありません。
錬金術ですら、それを記した書物は出てくるものの、
登場人物が見よう見まねでやって、ただ失敗するのみです。
ここで言うところのマジックとは、人の役に立つことのない、
人の制御下にない非現実的現象のことのようです。
そういう意味では、神によるマジック、または、
作品世界を創造する神の立場にある作家によるマジック
と言えるかもしれません。
伝承や伝説では、時を経る中で、話が大きくなったり、
非現実的な後付けの設定が付け加えられたりするのは、
それほど珍しいことではないですが、
その類の非現実的な現象が、リアルタイムに発生して、
日常に溶け込んでいる世界とでも申しましょうか。
例えば、
仏陀入滅の際に、沙羅の樹が狂い咲きした後に枯れた、
というような伝承を聞くことがありますが、、
似たような話で、本作品では、一代目が亡くなった際に、
小さな黄色い花が、雨のように一晩中降り注ぎます。
伝承であればここまでなのですが、そこでは終わらずに、
降り注いだ花は、外で寝ていた家畜を窒息死させ、
次の日には、村人は葬式の列を通すために、
シャベルやレーキ(熊手)で、降り積もった花を、
掻き捨てなければならないという破目になります。
伝承的非現実と日常生活との融合に余念がありません。
これが、マジックリアリズムなのでしょう。
さて、本作品のように、何世代にも亘って、物語を紡いでいく作品、
おそらく類似の作品もいくつかあるかと思います。
この作品を読んで感じた「切なさ」に最も類似した感情を抱いた作品を
一つ挙げるとするならば、
「俺の屍を超えてゆけ」(
wikipedia)です。
生まれた赤ん坊が、いつのまにか大きく育ち、子供を生み、
読者である自分を超えて老いて、死んでいく、
または、そこまでいかずに若くして死んでいくのを、
繰り返し、見続けなければならない、切なさ、儚さです。
百年の孤独 (Obra de Garc〓a M〓rquez (1967))