映画
2009年のメキシコ/アメリカ映画。レンタルDVD。
前半はスラムのギャングを題材にしたメキシコ版「シティ・オブ・ゴッド」(
過去記事参照)。
後半は列車ロード・ムービー。
チンピラ主人公が少年をギャングに引き入れるところからシーンが始まります。
13秒間、リンチに耐えて、生き延びれば合格。
その後、敵グループを1人殺すことで正式に仲間入り。
その後、主人公はギャングの掟を破ったため、メンバーに焼きを入れられた上で、
忠誠心を示すために、ギャングのリーダーと前述の少年と3人で強盗をすることに。
その強盗先というのが、なけなしの全財産をかき集めて隣国へ抜け出すため、
列車の屋根の上に無銭乗車する移民たちというのが結構エグいです(どうしてそこ狙う)
一方、ホンジュラスでは、
娘(ヒロイン)、その父親、その叔父の3人が、アメリカへの移民を決意。
そのためには列車の屋根に乗りメキシコを通過しなければならない。
列車の屋根の上で、双方がエンカウント。
ギャングのリーダーが娘(ヒロイン)を押し倒し跨がって暴行しようとしたのを見て、主人公は・・・
その後、主人公はギャング団に追われる身となり・・・
(続きは映画で)
シンプルな話ではありますが、話が滞ることなく進み、そこそこリアリティがあるため、
最後まで飽きることがありませんでした。
主人公がモテモテなのは解せませんが。
チンピラ主人公でさえ美人のねーちゃんやホンジュラス娘にモテモテなのに、
おまえらときたら(TT)
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で、ここからはとりとめもない連想や素朴な疑問の備忘録です。
スラムの状況などを見るに、中南米はどこも似たような感じで、
治安の維持に失敗しているような気がします。
何でなんだろうと考えたときに、
つまるところ、断絶なのかなと思うのです。
コミュニティの中で知(倫理、道徳、文化等)が蓄積されて、共有されて、
改善されて、創造を生み、受け継がれてというサイクルが断絶してるように思うのです。
中南米の場合は、まず植民地化で、過去の文化・伝統と断絶され、
入植白人、原住民、黒人奴隷、混血等、階層間の断絶、貧富の格差が持ち込まれ、
今に至っているように思います。
(日本の場合、変容していても、断絶はしてない希有なケースなんだと思います)
スラムにおけるギャング以外のコミュニティであったり、
スラム以外のコミュティがどうなっていて、どういう関係にあるのかが、
情報が少なくてよくわからないのですよね。
映画を見たくらいでわかるわけはないのですが。
スラムに住む皆が皆、ギャングになるわけではもちろんなく、
単純労働者として日銭を稼いでいる人が多いようですし、
スラム出身のサッカー選手も多いですし、
多種多様な中の一部分であることを忘れてはいけないなと。
闇の列車、光の旅 [DVD]