映画
1976年の日本/フランス映画。
大島渚監督の追悼として、
日本では販売されていない本作のBlu-ray版(米国criterion社製)を、
米国amazonで注文したのですが、届くまでに1ヶ月もかかりました。
しかもその間、
日本のアマゾンでも米国版Blu-rayを買えるようになっていました。
骨折り損のようで複雑な気分です。
監督逝去後、米国amazonに日本からの注文がある程度集中したことに目を付け、
日本で値段を高くして売った方が儲かると思ったのでしょうかね?
法的に大丈夫なのかが気になりますが(モザイク的に)、
日本に法人税を払っていないくらいなので大丈夫なのでしょう。
それはさておき、本作ですが、
テーマがチンポコということもあり、
とんだチンポコ映画になっています(いい意味でも悪い意味でも)。
阿部定事件がモチーフになっています。
最近のしおれた役柄を見慣れていたので、
藤竜也が若くて威勢がいい角刈りで最初は気持ち悪かったのですが、
それにはすぐに慣れて、だんだん可愛くさえ感じてきます。
それと反比例して、主演女優が鬱陶しくなってきます。
これは本当に残念なことで、申し訳なくさえ思うのですが、
一瞬たりとも色気を感じることができませんでした。
しゃべり方が大きいんでしょうかね。
時代劇的女言葉が板に付いてなくて、
すべての台詞が一本調子でべたぁっと間延びしていて、
台詞が動作や感情と完全に分離してしまっているんですよね。
意図してやっているか否かに関わらず、
結果的に、とてつもない大根演技に見えてしまいます。
その一方で藤竜也が、ほぼ現代語で緩急を付けて、
自然な演技をしているので、余計それが目立ってしまって、
どうしてこんな事になっているのかと、とても気になってしまいました。
また、身のこなしもありますかね。
意味もなく下あごのあたりからにじり寄ってくる感じで、
反射的にチンに地を這うようなアッパーカットを見舞わせたい衝動に駆られます。
そんな調子で鬱陶しさがどんどん増していくので、途中見続けるのが辛くて、
何度か休憩を入れながら、なんとか最後まで見ました。
中居のおばちゃん(50代?)や68歳のばあちゃんと
藤竜也の絡みの方が数倍面白かったというのが致命的です。
・・・はっ!!?
そう思わせるのが監督の狙いだったのでしょうか?
究極の選択を迫り、敗北感を味わわせる・・・だと・・・。
68歳を選ばせる・・・だと・・・ゴクリ。
映像は海外を意識した日本的なものとなっており、
丁寧につくられていて美しいです。
愛のコリーダ ~IN THE REALM OF THE SENSES~ (Blu-ray) (PS3再生・日本語音声可) (北米版)