書籍
1966年発表のアメリカの小説。英語原文読書。
kindleで、英語原書と和訳版を並行して読みました。
和訳版はかれこれ30年近く前、大学生の時に読みました。
花束が描かれたピンクがかったオレンジ色の表紙の新装版が出版されて、
多少話題になっていた頃だったのだと思います。
英語版は2015年5月頃にすでに購入して読み始めていたのですが、
途中で、主人公が調子に乗りだして、
これ見よがしに難しい言葉を使い出すようになったところで、挫折していました。
前回の英語原書読書「
I am Malala」を読み終えた後、
最初から読み返し、読み終わるまで半年かかってしまいました。
シンプルな設定ながら、
人生(成長と衰え)を濃密に圧縮して詰め込んだ作品なので、
複雑な味わいがあります。
ラブストーリーとして見た場合、
刹那こそが永遠であり、何にも代えがたく美しいということが、
見事に表現されていて、身震いしました。
上り坂の時にうまくいかなかった恋愛を、
下り坂で待ち受けて、受け入れたアリスの肝の据わりように惚れました。
とはいえ、美しいラブストーリーでは終わらせずに、
急速な衰えに対する怯え、不安による、自暴自棄やいらだちによって、
主人公自らの手で美しい関係を汚し、破壊させたところも、
刹那がより強調されて効果的だと思いました。
最終的には、その不安すらも感知できなくなり、
平穏で優しい心を取り戻すというのも、味わい深いです。
初読の時と随分と受けた印象が変わった気がします。
初読の時は、素直に悲劇としてとらえ、涙して読んだものですが、
今回は、切ないし、苦悶の物語ではあるけれども、悲劇ではないなと思いました。
短い期間にギュッと圧縮された人生を経験して、
元に戻って、おぼろげなプラスアルファが得られたという
希望のある前向きな終わり方なんですよね。
訳者小尾芙佐氏のあとがきを真似した感じになってしまいましたが、
事実そう感じたので仕方ないです。
万人にとって、時期を隔てて、再読すると、
違う感触を楽しめる作品なのかも知れません。
追伸:
初読時には特に気にも留めなかったと思うが、バートはいい奴。
若い大学院生なのに、教授達に比べて人間的にできているというか、
世間を良く理解していて、主人公に対しても真摯に本音を語ってくれる。
ビジネスなり研究なりの立場上だけの関係とはいえ、
主人公はもう少し彼を大事に扱っておいても良かったかなと。
中盤過ぎまで、ニーマーとシュトラウスの人物像を明確に区分できず、
若干フラストレーションあり。
(遡って読めば、描き分けているのだろうけど、序盤の役割分担が、
チャーリー視点であるがために不明確で、人物に特徴を紐付けしづらい)
学会発表すべきか否かでのシュトラウスとの口論、
終盤でのパーティーでのチャーリーとの喧嘩などで、
ニーマーの方が権威主義的なのがわかってくるけど・・・
チャーリー視点からすれば、わかりやすい区別がなくても仕方ないといったところか。
そのわりには、P.S.でのニーマーへの一言だけが辛辣で笑った。
出だしと最後の拙い文章については、英語原文の方が、日本語訳ほど崩れてないし、
わざとらしくはないような感じがした。
英語原文の方は、発音に忠実にスペリングしているだけで、どもってるわけではないので。
あとがきによると、日本語訳は、放浪画家山下清の書いた文章を参考したとのこと。納得
著者は本作の後、「五番目のサリー」や「23人のビリーミリガン」と
多重人格をテーマにした作品を手掛けることになるが、
本作の段階で、筆者が多重人格に興味を持っていただろうことに気づいた。
(チャーリー少年が現れて邪魔をするという描写は多重人格の知識がないと思いつかない)
同じく大学生時代に読んだ村上春樹の「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」
と類似した感触を持ったので、機会があれば確認したいものだなと。
最後まで足掻き続け、最終的に訪れる平穏。多重人格的世界(潜在意識世界)の統合など。
Flowers For Algernon: A Modern Literary Classic (S.F. MASTERWORKS) (English Edition)アルジャーノンに花束を〔新版〕