旅・散策
よみはそれぞれ、小文間=おもんま。戸田井=とだい。
小文間は取手市の東南端に位置し、小貝川が利根川へ合流する地点の西側一帯を指す。
戸田井は住居表示としては使われていないが、小文間の小貝川沿いの一区域を指すようで、
バス停留所、橋の名前として残っている。
戸田井は母方の一族が戦時に疎開していた地で、
母と母のいとこの希望で運転手を兼ねて一緒に訪れてみることになった。
母は7~8年前に一度訪れたようだが、母のいとこは幼少時以来のようで、
実に60余年ぶりということになる。
柏から車で40分程度で現地周辺まで来る。
小貝川に架かる戸田井橋を渡る手前で右折して、
車1台しか通れない幅の小道に入りゆっくりと車を走らせる。
両側に住居があり、左手の奥には小貝川の土手が見えている。
二人の会話を横で聞く限りでは、
右手の豆腐屋や誰かさんの家を始めとして当時の面影が少し残っているようである。
土手のふもとの「茨城県立取手松陽高等学校」の正門前に車を停めて周囲を散策することにする。
高校の立派な校舎(写真参照)。休日ということもあるが、全く人気がない。
その当時は勿論この高校はなかった。
土手を登りかつての住まいがあった林の方に向かって歩く(写真参照)。
住居跡地の手前には「水神様」が(写真参照)。
母のいとこ曰く幼少の頃登って遊んでいたらしい。
「こんなに小さかったとは思わなかった」としきりに驚いていた。
今の倍ほどの高さはあったと主張。
私が「それは当時は小さかったから」と一般論を唱えてみるものの、あまり納得していない模様。
傍に測量の基準点が見える。
水神様の先、林に囲まれた当時の住居跡には2、3軒の民家が建っていた。
当時の住居の面影は全く残っていないらしい。民家の敷地内のため撮影はせず。
開発が進んでいるところではないが、
河川の整備に伴い土手の形状が大きく変わっていたりして、
雰囲気が全く変わってしまっているとのことである。
土手の上から車で入ってきた道を振り返る。
平塚らいてう邸跡地の横にログハウスが。
ログハウス左手前の空き地は当時は池だったらしい(写真参照)。
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それでも川の位置は変わっていないはずで、新緑の香りを乗せた風が、
実に気持ちよく河原を吹き抜けていた。
小貝川下流を望む。突き当たりで利根川に合流。
小貝川上流を望む。戸田井橋が見える。